あろまちゃんぼうのよもやま話

うつ病、ハーブ、精油、その日の出来事について

アダルトチルドレンの枠で

私は二回目の診察で事の顛末を先生に話したら一冊の本を渡された。
クラウディア・ブラック著
「私は親のようにならない」
サブタイトルとして
アルコホリックの子供たち
とかいてあった。
見た瞬間、あおざめた。
なぜなら、私の父はアルコール症で早死にしたからであり、一方で母のようにはなるまいと思っていたからである。
また、訳者が斎藤学氏という精神科医でまさに父が最後の診察で受けた人であり、私と妹はその人の紹介で一度だけアルコホリックの家族会にでたことがあった。
先生に気になる箇所があったら伏せん貼っておいてと言われた。
私はその本をむさぼるように読んだ。責任を背負い込む者、順応者、なだめ役であったことがこころにつきささった。しゃべるな、信じるな、感じるな、という言葉もあてはまった。私が幼いとき、父は酒の臭いをさせて帰宅したが
知らないふりをした。朝になると嘘のように穏やかな父を見て昨日あった母との大喧嘩を信じないことにした。そして、だんだん、それに対して怒りをおさえるようになった。私は長女だったため、いつしか、母が泣いているのをなだめるようになっていった。そして、父が外国に転職する際に単身で行くとき、父は母にではなく大学生になったばかりの私に父に何かあったらお前が頼りだから母と妹を守ってくれと言い残して、外国で酒を自殺するかのように飲んで、担架にのって帰国して二週間後に亡くなった。私は父の言いつけ通り、泣いてばかりの母に代わって反抗期の妹を父のように諭した。父でないくせに!と言われても父としての責任を背負った。そして、いつしか、母は私におんぶし、手元にいつも囲っておこうとするようになった。いつまでも一緒に住みましょうといったかと思うと、お見合いで断ってくるとあなたはもっと謙遜しないからいけないのよとなじった。妹が長崎の大学に行くことになり、二人だけの生活になるとエスカレートした。私は嫌な思いを抑えながら母の言うなりになっていった。
先生は診察の時にこういった。
あなたはさっきからお母さんが嫌いだといいながら、お母さんの事ばかりいってますね。嫌いなら、
夜逃げでもして彼氏といきていけばよかったのではないですか?
はっとした。
私も母にいつのまにかおんぶして
いた。
いい子でいたいがために母も捨てられなかったのだ。
そう。私と母は「共依存」の関係になってた。
そのころ、室井滋主演の「心療内科医、涼子」の番組で共依存を扱っている回があったが、まさにそれと同じであった。
アダルトチルドレンという、本来の自分を押さえ込まざるを得ない状況でうちなる自分(インナーチャイルド)の成長を止めてしまい、体だけが大人になってしまった状態の一つである。
母は結婚と同時に父と共依存関係になっていたが(アルコール症者の世話役をして父におんぶしながら父を支配していた)、父を失って依存する相手を子供である私に求めたのである。
距離が近すぎてお互いに自律できない関係にあることだ。
妹は幸い、長崎に逃げたから共依存にならずにすんだ。
私はこの事に気づき、死にたいほど自分が嫌いになった。母のために彼氏をめちゃくちゃにした。そうした自己嫌悪でこれからどうやって、母をたちきっていきればいいのかわからなかった。うまれてからずっとアルコール症の家庭に育ち、30を目前にして、今までの生き方は間違いだったと気づかされショックだった。
私、また白紙に戻っていきなおすことできますか?
と振り絞っていった私に先生は
できます、
といった。
そして、私は先生に自助グループACODAに通うことを勧められた。
それを起点に私の生きなおしははじまった。